やまねごはん@バークレー+南インド+京都


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行きたい場所
伊勢神宮
ハワイ(たぶんハワイ島)
鍾乳洞

でも、このあいだは衝動的に「トルコに行きたいなあ!」と思った。それは、アリさんがつくってくれたイスラエル料理に触発されてのことで(この二つの国の食べ物は似ている)、図書館でトルコ料理の本を借りて眺めたら満足した。これでご近所さんがおいしいトルコ家庭料理なんかをごちそうしてくれたら、すっかり気すんでしまって、「トルコに行きたい」という気持ちは煙のように消えてしまうのだろう。そもそも旅行というものが不得手なのだ。20年来あいまいに感じ続けていた「なぜ私は旅行が苦手なのか」という問いに、つい先日答えが出た。それは「新しい土地のエネルギーに適応するのに時間がかかる(適応するまではとても疲れる。大抵旅行はそれほど長期にはならないから、適応の過程で終わってしまう。あるいは長期旅行でも場所を移動したらまた最初からやりなおし....ということになる)」という、まあなんというか「そういわれればそうだよね」という類のものであるが、「だから外国に住むのは大丈夫なんだ(いったん土地と自分のエネルギーが合ってしまえば問題なく、むしろすべてが新鮮に感じられる)」とすっきりとした。もうひとつは、これまた目新しくないのだが、「日常生活が好き(旅行的な非日常にはさほど魅力を感じない)」というものであって、だからといって「全然変化のない日々」は息苦しく、「日常のなかにドラマがたくさんある」というのが体質に合っているように思う。たとえば心の通った友人とぐっと深く話をしたり、素敵な新しいひとに出会ったり、ということはかなりエキサイティングなので、場所を移動しなくても、それで充分、という気持ちがある。さらには「非日常」よりも、「超日常」の方に惹かれるので、ヨガとか瞑想とか座禅とか、そういうものがしっくりくるのです(あまりできていないけれど)。こんなふうに、日常は、旅行よりずっと自由だ、というのがいまのところ実感である。でも、旅、はイメージするだけで、なんだか無制限に自由になる気もちがするのも、また本当なのが不思議だとおもう。

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来訪者の日々
家に引きこもって鬱々としていたつわりの6週間が終わり、親しき人たちが次々と訪ねて来てくれている。7月9日(火)には、横浜で奇跡のようなパン屋を営むAさんと、同じく逗子で端正ですこやかなお菓子をつくるSさんが、いかにもうつくしげな様子で現れ、夏の湿気と暑さがとびのくようだった。一緒に南インド料理を作って食べて、近況報告だけでもすごい会話量!Sさんは予定があって数時間の滞在であったが、Aさんは一晩泊まってくれたので、深夜まで語り尽くせぬ時間を共にすごす。彼女とは葉山のやまねごはん時代に、月に一度、一緒にイベントをひらいて濃密な時間を過ごしていたが、その後はなかなか会う機会が持てなかった。今回は、3年以上ぶりにゆっくりと話す時間がとれたのに、会えば「一か月ぶり」の感じであるのがまたうれしい。
Aさんが発ったあと、ほどなくしてサンフランシスコから友人家族がやってきた。心の友のよりこさんと、その夫のアリさん、半分日本人半分ユダヤ人の妖精のようなりなちゃんの3人家族である。濃密な3日間を共に過ごし、その間にはアリさんにイスラエル料理を作ってもらったり、子どもたちが夜な夜な「ディナーショウ」をひらいたりと日常であるのに祝祭的な日々。彼らは祇園の町屋で残りの5日間をすごし、そのあと直島、九州へと向かうという。
そして毎月数日を京都で過ごすY氏の母夫妻も到着。孫たちにとっては「やさしいおばあちゃんとおじいちゃん」との蜜月の時。昨晩は10キロもあろう巨大なすいかや、うなぎの上等をご馳走になって、皆で歓喜する。
来週の月曜日にはは東京からSさんが1泊の予定で来てくれることになっている。こうやって書き連ねるとなんとめまぐるしい日々!であるが、これらは「与えられたギフト」にほかならず、よろこびに満ちている。そして、最後のお客さんが去って、1週間ほどで葉山に(避暑に)もどり、なつかしい土地での日々が始まる。


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本いろいろ
 


左から
「障害をもつ子のいる暮らし」小児科医の毛利子来先生と山田真先生がメインに執筆をした百科事典的役割をになう本。参考になる部分が多く、大変勉強になる。一方、療育の現場に関する記述が70〜80年代と思われ(書いたのは別の先生)、現在との乖離がおおきく「???」な部分も。療育の現場は急激な進歩をとげていて、現状を知らずに本書だけを読むことの危うさについて考える。もちろん、本という媒体である以上、それは避けられないことなのだけれど。
よしもとばななの「彼女について」。救いようのない闇を、昇華をはるか飛び越えて書き切った傑作。存在と魂の輪郭が哀しくもくっきりと浮かびあがる。
「こどもに薬を飲ませる前に読む本」山田真著。こういう本はざっとでも読んでおくといざというときの指針となるので本当にありがたい。こんな先生が近所にいるといいのいなあ。
玄侑宗久の対談集「多少の縁」。ぐいぐい読ませる勢いがありつつも、随所で深みを感じさせる内容。仏教的世界観におおいに共感する。対談は予定調和になりにくいのと、その人となりが出やすいから面白い。
木村順著「育てにくい子にはわけがある」感覚統合の専門家が書いた救いの一冊。すべての教育者の必読書。そして子育てに困難を感じている親に読んでもらいたい。混沌と混乱の子育てが続く我が家も、これでまた一歩前進できると確信する。
津田晴美著「グッドルッキングライフ」。



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桃ひと箱
つわりのときは「どうしても、いま、これが食べたい」という衝動にかられることが多い。今回は、京都風(関西風?)カレーそばを繰り返し食べたし(特においしいお蕎麦屋さんでなくとも十二分に美味)、夏前の値の張るすいか(4分の1で千円)を連日求めたりした。夏至の日には「絶対にぎり寿司」と思ったし、我が家にはめずらしく「かつおのたたき」の日もあった。そんなこんなも終盤にさしかかってきたころ、「どうしても、桃」というイメージが数日のあいだ頭を離れない。なじみの自然食品店に行って、桃の2個入りを手にしてすこし考えた後、棚に戻して、桃がたくさん詰められた箱入りの贈答用におもむろに手をのばす。「ぜいたくだ」との思いがよぎるが、家族4人で2つの桃を分けながら不十分なりに満足するという光景がどうしても思い浮かべられず(普段ならそれでいいはずなのに)、2、3日のあいだふんだんに食べられなければ意味がない、と思いを定める。でも、この「ぜいたくだ(だからがまんしたほうがいい)」という感じはなんとなくもやもやするなあ、と思いながらあれこれ考える。それでもやっぱり桃はすばらしくおいしかったのでありました。
なんでも一旦気が済むまでやると、満足感と充実感が得られて、すがすがしい気持ちでその地点を通過して次のステップに進めるように思うのです。もっとも周囲の家族からからみたら、我慢のできない私の勝手な理屈に聞こえるとおもうのですけれど!


桃って香りも食感もみずみずしさも、すべてがすてきな食べ物。去年の夏、家族が「紫野和久傳」に行ったときに目からうろこの剥き方を教わったので、数段おいしく食べられるようになりました。

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Y君来訪
大学時代からの友人Y君が遊びに来てくれる。彼とは年に1,2回しか会わないのだけれど、考えてみれば、もう19年の付き合い。旅行、というより移動?が趣味のようで、バークレーにいたときも2回も立ち寄ってくれた(我が家は目的地ではなく、あくまで「移動するための中継地」という位置づけ)。今回は関西国際空港に用事があって、そこから大阪で買い物をして八瀬まで来てくれると言う。「2時間くらいしかいられないけれど」との予告は予想通りにはずれ(時間を守る、ということが困難な体質らしく、思い返せばかつて成田空港で4時間待ったことがあったのだった)、到着後わずか40分であわただしく玄関を出て行った。いかにも海外旅行仕様の荷物といでたちなのでいぶかしく思って尋ねると、「これから伊丹空港から羽田に飛んで、バンコクに行く」という。たいした話もできずに、いそいそと「これ、翠さんの誕生祝いです」と立派な老舗の風格のある包みを取り出す。大阪は堺の茶人たちが求める和菓子をわざわざ予約してもってきてくれたのだった。なんでも16世紀から伝わる製法でつくられたとか。「そしてこれはご懐妊祝い」と見るからに上等な箱に入った飲むもろみ酢を手渡される。彼の贈り物はいつも奇妙にセンスがあって、一度目の出産祝いは塩の詰め合わせだった。そういえば旅先の金沢からは乾燥麩の上等が届いたこともあった。

創業天分元年 本家小島の芥子餅 3才の誕生祝いの品としては渋い。こどもたちは「おだんご!おだんご!」の大合唱。


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バースデーケーキ
アップしそびれていた、翠3才のバースデーケーキ。ととう(Y氏)が今回も張り切ってつくりました。


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岩倉図書館
京都左京区に住まいを移してから2か月半、ようやく最寄りの図書館に出向いた。きっとさびれたコンクリートの建物で、照明は蛍光灯、蔵書のセレクションもいまひとつなんだろう...と失望に対するこころの準備をしながら到着すると、なんと!建物は木造で天井が高くてファンがゆったりと回り、照明は北欧デザインのルイスポールセンがずらり(どこにそんな予算が!?)、蔵書の揃えも魅力的で、働いている方々もすこぶる感じが良かった。こんなすばらしい図書館なのだったらもっと早く来るべきだった....とおもいながら書架をぐるぐるとめぐったり、途中椅子にすわって雑誌を読んだりして、もう、大変に満足な午後であった。

借りてきた本いろいろ。
「辺境ラジオ」は面白くて一気に読む。中沢新一の「ミクロコスモス機廚呂箸海蹐匹海蹐靴わからないけれど(嗚呼もっと理解力があったなら!)、読む機会を得られて嬉しい(自分では買わないから)。綿矢りさは最近の作品「ひらいて」を読んでその才能にたまげたのでぜひ他の作品も読んでみようと思って選択。よしもとばななはいつ、なんどき読んでもすばらしい。私にとって一番脳がリラックスかつ冴える作家。「自然との対話」は山を登る人たちの対談。若き写真家(登山家?)石川直樹に興味があって選んだ。登山家にもいろいろあるかとおもうけれど、謙虚でタフで、求道的な人がいるののが魅力。



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満月
 5月24日の満月には、鞍馬寺の五月満月祭(ウエサク祭)に参加した。思い立って当日午前中に神奈川に住む友人に「一緒に行こう」と電話をかけたら、「考えてみる」との返事。その後の行動は迅速だったようで、友は3時には京都駅に到着、我が家に着くなりビールで一息入れていた(これからお寺にゆくのに?)。儀式は午後7時から深夜1時、2時までに及ぶらしい。多くの人は寝袋持参でお寺に泊まり、早朝に帰宅する。5月とはいっても山、寒がりで身重な私は、ダウンベストに座布団、ひざ掛け、お湯を入れた湯たんぽに加えてカシミヤの毛布を担いで(半分以上は持ってもらって)、山に向かった。普段は4時ごろに門が閉まってしまうので、夕暮れ時に鞍馬山を上る機会は滅多にない。ケーブルカーもあるけれど、徒歩で登ってもわずか30分。お参りは、その道中がむしろ本質のような気もするから薄暗かろうと荷物が多かろうと、ここはぜひ足で道をふみしめたい。儀式はおごそかにはじまり、背後からはくっきりと白い満月が徐々に上る。満月の力をうつしたお水をいただいた後、友人は引き続き儀式に参加し、朝まで残るというので、終電に合わせて暗い山をひとり下山する。帰り道ですら、満月がすこしも離れずに、見守ってくれていた。

その次の満月、6月24日。和歌山の田ノ浦に向かう。前日の夕方、葉山のとうこさんたちからGAMAのパンが送られてきて(6月いっぱいで閉店するとか)、そのお礼の電話のときに和歌山の話がでたのだった。そういえば、香川のゆうこさんからもその話は聞いていたけれど、そのときは「そうなのか」と思っただけだった。調べてみれば、京都から田ノ浦まではわずか2時間半、つわりは夏至を境になりをひそめていた。これなら行ける!たどりついた海辺の和室では根本きこさんのお話し会、続いて夜にはアリシア・ベイ・ローレルさんのライブ。逗子葉山地域でつながっていた人たちが、沖縄から、香川から、高知から、三重から、京都から、そして逗子葉山から集まった。みんなで集まろう、と申し合わせたわけではなくて、情報がなんとなく伝わって、その日の流れでやってきたような感じだった。3年ぶりに再会した人もいたけれど、1カ月ぶりくらいに感じる。離れていても、時々その人のことを考えたり、存在を近くに感じていると、実際会っているかどうかはあまり関係がない。今住んでいる場所はまちまちだけれど、いつでも近くにいるんだ、と思う。海のにおいのする浜辺ででタイカレーやナシゴレンやえだ豆やバナナラッシータピオカ入りなんかを食べながら、とりとめなく話をしていながら思う。ここはどこだろう?空は曇っていたけれど、ほんの一瞬月が顔を出してくれた。

これは5月の満月。山から月がのぼってくる。

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夏至

もうすぐ夏至だと思っていたけれど、今日がその日だということにさっき気づいた。ここ数日、数か月、数年間の様々な伏線が、つぎつぎに浮かびあがってきて、いよいよ新しい生き方が始まるのだ、と気付く。頭の中をかろやかに、呼吸は深く、ときには深呼吸をして、感じることを、大切に。変化は、心の奥底で、あるいは目に見えないつながりという形で、静かにそして力強く始まるのだ。


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制御不可能なこと、入手不可能なもの

ブログ上で妊娠報告をしましてから、驚き、お祝い、励まし、いたわりの声をほうぼうからいただいて、とてもうれしかったです。現在11週、順調にゆけば来年の1月はじめに誕生のはこびとなります。今日は健診で、エコー(超音波?)で胎児の様子をチェックするお医者さんに、すかさず「生きていますか?」と問いかけてしまいました。初期流産(12週まで)の確率は妊娠全体の15−30%とと言われていて、決して低い確率ではなく、一度流産を経験したこともあって、10週の壁(その時期を過ぎると確率がぐっとさがるとか)をこえられるかどうかは、切実なのだった。担当のお医者さんの対応のまずさからY氏が憤慨し、苦情書を出した結果、病院でオフィシャル(?)話し合いの場が持たれたりと、ドラマもついてきた通院だったが、来週からはお世話になる助産師さんが家に健診に来てくれるので、ぐっとリラックスした感じになりそうなのがうれしい。

話は変わって、おいしいプラムをかじりながら洗い物をしつつ、いま欲しいものはなんだろう?と考えた。思いついたのは、

・誰かが家で食べるために漬けた梅干し
・誰かが....(以下省略)キムチ
・オーガニックコットンの下ばき(レギンス、というのだろうか?いま愛用しているものは穴があいているので。しかもどうやらサイズ展開が変更しているようで、事実を知るのが不安で問い合わせられずにいる。気に入っているものはいつだって製造中止かモデルチェンジの憂き目を見るだ)
・どこかの家の庭になった枇杷(あるいは実をつけた枇杷の木)
・どこかの....(以下省略)プラム(あるいは....同上)←逗子の田越川沿いのお宅にある木をいつも羨望の眼差しで見上げるのがプラムの季節の決まり。
・みつろうのろうそく(これがあると洗い物の精神負担が85%カットされる)
・ものではないけれど、才能のある人にお願いするアロマテラピー、腕の良い先生にやってもらう鍼灸、夏代さんにかけてもらうテルミー、など体のケア全般。

下ばきとろうそく以外は買うことができない。このふたつは買うと決めれば買えるのだけれど、なんとなくそんな気にもなれなくて、待つともなくご縁を待ち続けているうちに、数か月がたってしまう。

それから「朝おきたら包丁がぞっとするほど鋭く研がれていたらいいなあ!」とか、「だれかが今一瞬で天むすをつくってくれないだろうか、いや今日は暑いから野菜の揚げびたしとそうめんも捨てがたい...」などと、不毛なことも、良く考えるのです。




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